Debate
2005年1月15日喉が痛い咳はこんなに苦しいとは知らなかった。
止まらなくて涙が出て…何ともいえない。
体調管理は難しいとつくづく実感する。
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私はこの春からディベートをやっている。
今は面白くてしょうがないような時期だ。
ちょうど成長期みたいなもので、
何でも吸収できる時であると自分では思っている。
高校の部活のOB会(新年会)での近況報告で
ディベートをやっているといったら、ぴったりだと
言われた。確かにディベートを選んだのは私らしいとも
思っていたが、改めて客観的に言われるとそうなのか!?
と思ってしまったのだ。
少し自分を振り返ってみる。
小中学校の時は生徒会役員をやっていて、生徒総会での
答弁は自らやりたいと言っていた記憶がある。異議を
唱えられずに短く適切に答えられる自信があったからだ。
けれども、文才はなく、意見文などの代表に選ばれるような
ことはなかった。
高校の時は、新聞局にいた。ここは、すごく丁寧に新聞を
作るところで、企画会議も真剣にやっていた。特に一番
規模の大きい3年生の卒業制作ともいえる7月号は10数名で
20面もの紙面を作る。企画会議は毎日放課後2週間は続けられ、
いくつかの大きな特集を組んでいた。
私が、何となくディベートをやってみようと思ったのも、きっと
新聞局に属していたからだろう。
私の反省として、自分の意見を上手く説明することができない、
ということが大きかった。適切な言葉がでてこない、という
ことがよくあった。
だからだろうか。大学に合格し、サークルを調べていた時に
「ディベート」という言葉に何となく興味をもった。
そしてHPに「論理力で一歩先へ」、「言葉のスポーツ」という
言葉にひかれた。
新歓の時期、真っ先に見学にいった。論題は「GMO」か
「ごみの有料化」かは忘れてしまったが、印象は
「形式っぽいなぁ」というものであった。また、肯否どちらの
いっていることもそのステージごとに納得できるものだった。
それぞれに良いこと、悪いことが必ずある。だから、その両方を
考慮して物事を決定することは大事だ。ディベートはそういう
視点から考えるきっかけになる、というようなことを思った。
始めた頃は、すごく論理的な人になれるのかと少し憧れていたが
まだ自分では自覚できていない。
あと、レポートが上手くなる、という点も期待したことだった。
(私は打算的ですから。)
実際に普段の生活で何か変わったといえば怪しい。確かに、
使えそうな資料をみると手にとってみたり、図書館から借りて
ブリーフを作ったりすることはある。
けれども、特別普段人に議論をふっかけることはないし
(単なる偏見だがね。)、強く意見をもっているわけではない。
ある特定の分野の話題には強くなったのかもしれない。
ちなみに、今書いてるレポートは、「ごみの有料化」の資料
使ってかけそうで嬉しい。
このサークルに入りたて(むしろ入る前)はひとりディベート
ごっこみたいな、自分にとってメリットかデメリットか
考えてみることはあった。しかし、今は面倒臭くてしてない。
自然としなくなったものだ。
こうやって考えてみているのは、多くの人にディベートサークルに
はいってもらうために、まず自分の動機などを振り返ってみよう、
ということからだ。
私が期待したような打算的な効果はまだ実感できていない。
しかし、とにかく「楽しい」とは思うのだ。
打ち合わせで議論を考えたり、リサーチをしたり、実際に試合を
して上手くいったりいかなかったり。講評で違う視点から
アドバイスをもらったり誉められたり次回への反省点を
言われたり。
考えていることを上手く出来る限り伝えられた時が、一番嬉しい
…といえるだろうか。途中で上手い返しがみつかって、それが
決定打となった時は更に格別であるが、今の私にはまだその
レベルにはないだろう。
どうしたら魅力を見出してもらえるだろうか。
レポートが上手くなったり、会議での発言などは
パーラメンタリーをやるほうが鍛えられるのではないのだろうか、
と最近密かに思っている。だから、一度どのようなものか
経験してみたいと思っている。
あと、ディベートを始めて学ぶ人が研修会でやっているゲーム
などはどのようなものなのだろうか。
新歓にくる人たちには、そちらを先に体験してもらった方が
比較もでき、とっくみやすいのではないのだろうか。
時間があったら、自分でも調べてみたいな…とは思っている。
まずは今週のレポとレジュメとテスト×2に目処をつけたいが;
止まらなくて涙が出て…何ともいえない。
体調管理は難しいとつくづく実感する。
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私はこの春からディベートをやっている。
今は面白くてしょうがないような時期だ。
ちょうど成長期みたいなもので、
何でも吸収できる時であると自分では思っている。
高校の部活のOB会(新年会)での近況報告で
ディベートをやっているといったら、ぴったりだと
言われた。確かにディベートを選んだのは私らしいとも
思っていたが、改めて客観的に言われるとそうなのか!?
と思ってしまったのだ。
少し自分を振り返ってみる。
小中学校の時は生徒会役員をやっていて、生徒総会での
答弁は自らやりたいと言っていた記憶がある。異議を
唱えられずに短く適切に答えられる自信があったからだ。
けれども、文才はなく、意見文などの代表に選ばれるような
ことはなかった。
高校の時は、新聞局にいた。ここは、すごく丁寧に新聞を
作るところで、企画会議も真剣にやっていた。特に一番
規模の大きい3年生の卒業制作ともいえる7月号は10数名で
20面もの紙面を作る。企画会議は毎日放課後2週間は続けられ、
いくつかの大きな特集を組んでいた。
私が、何となくディベートをやってみようと思ったのも、きっと
新聞局に属していたからだろう。
私の反省として、自分の意見を上手く説明することができない、
ということが大きかった。適切な言葉がでてこない、という
ことがよくあった。
だからだろうか。大学に合格し、サークルを調べていた時に
「ディベート」という言葉に何となく興味をもった。
そしてHPに「論理力で一歩先へ」、「言葉のスポーツ」という
言葉にひかれた。
新歓の時期、真っ先に見学にいった。論題は「GMO」か
「ごみの有料化」かは忘れてしまったが、印象は
「形式っぽいなぁ」というものであった。また、肯否どちらの
いっていることもそのステージごとに納得できるものだった。
それぞれに良いこと、悪いことが必ずある。だから、その両方を
考慮して物事を決定することは大事だ。ディベートはそういう
視点から考えるきっかけになる、というようなことを思った。
始めた頃は、すごく論理的な人になれるのかと少し憧れていたが
まだ自分では自覚できていない。
あと、レポートが上手くなる、という点も期待したことだった。
(私は打算的ですから。)
実際に普段の生活で何か変わったといえば怪しい。確かに、
使えそうな資料をみると手にとってみたり、図書館から借りて
ブリーフを作ったりすることはある。
けれども、特別普段人に議論をふっかけることはないし
(単なる偏見だがね。)、強く意見をもっているわけではない。
ある特定の分野の話題には強くなったのかもしれない。
ちなみに、今書いてるレポートは、「ごみの有料化」の資料
使ってかけそうで嬉しい。
このサークルに入りたて(むしろ入る前)はひとりディベート
ごっこみたいな、自分にとってメリットかデメリットか
考えてみることはあった。しかし、今は面倒臭くてしてない。
自然としなくなったものだ。
こうやって考えてみているのは、多くの人にディベートサークルに
はいってもらうために、まず自分の動機などを振り返ってみよう、
ということからだ。
私が期待したような打算的な効果はまだ実感できていない。
しかし、とにかく「楽しい」とは思うのだ。
打ち合わせで議論を考えたり、リサーチをしたり、実際に試合を
して上手くいったりいかなかったり。講評で違う視点から
アドバイスをもらったり誉められたり次回への反省点を
言われたり。
考えていることを上手く出来る限り伝えられた時が、一番嬉しい
…といえるだろうか。途中で上手い返しがみつかって、それが
決定打となった時は更に格別であるが、今の私にはまだその
レベルにはないだろう。
どうしたら魅力を見出してもらえるだろうか。
レポートが上手くなったり、会議での発言などは
パーラメンタリーをやるほうが鍛えられるのではないのだろうか、
と最近密かに思っている。だから、一度どのようなものか
経験してみたいと思っている。
あと、ディベートを始めて学ぶ人が研修会でやっているゲーム
などはどのようなものなのだろうか。
新歓にくる人たちには、そちらを先に体験してもらった方が
比較もでき、とっくみやすいのではないのだろうか。
時間があったら、自分でも調べてみたいな…とは思っている。
まずは今週のレポとレジュメとテスト×2に目処をつけたいが;
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